こんにちは、北海道で図書館司書をしている「みろく」です。
倉本聰さんの訃報を知りました。
『北の国から』をはじめ、北海道・富良野を舞台にした数々の作品を生み出してきた倉本聰さん。
2026年9月18日、北海道富良野市の自宅で亡くなられたことが発表されました。91歳でした。
ニュースを見ていると、倉本聰さんの作品だけではなく、富良野の風景や、そこにまつわるさまざまな思い出まで一緒によみがえってきました。
私にとって倉本聰さんは、単に「好きな脚本家」というだけではありません。
いつの間にか、北海道で過ごしてきた時間の中に、その作品が残っている。
今回は、そんな私自身の思い出を少し綴ってみたいと思います。
『北の国から』と、私の小さな思い出
倉本聰さんといえば、やっぱり『北の国から』を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
富良野の大自然を舞台に、黒板家とその周りの人々の暮らしを描いた『北の国から』。
富良野では1981年から長期にわたって撮影が行われ、連続ドラマの後にはスペシャルドラマも制作されました。今も麓郷には、作品に登場した場所が残されています。
私にも、『北の国から』にまつわる小さな思い出があります。
ドラマを見ていた頃、周りの人から「蛍ちゃんに似ている」と言われたことがあるんです。
今でも、なぜかその言葉を覚えています。
それ以来、蛍ちゃんという存在と一緒に、『北の国から』の風景が私の中に残っているのかもしれません。
本棚に今も残っている、倉本聰さんの本
倉本聰さんの作品との出会いは、ドラマだけではありません。
『ニングル』『北の人名録』『冬眠の森』。
この3冊は、母が先に読んでいて、「面白いよ」と教えてくれたことがきっかけで、私も読んだ本です。
そしてこのほかの本も、私の本棚に残っています。

こうして改めて本棚から取り出してみると、ずいぶん長い時間が流れたんだな、と感じます。
母にすすめてもらって読んだ本が、今も自分の本棚にある。
それだけでも、私にとって倉本聰さんの作品が大切なものだったことが伝わってくるような気がします。
図書館司書として本に囲まれて働いている今だからこそ、昔から手元に残っている本を見ると、その本と出会った頃の自分や、すすめてくれた人のことまで思い出すことがあります。
本って、こういうところも面白いですよね。
家族で訪れた富良野。ニングルテラスや麓郷の森へ
そして、倉本聰さんの作品といえば、やっぱり富良野。
子どもたちが小さかった頃、家族で富良野へ旅行したことがあります。
そのときに訪れたのが、ニングルテラスや麓郷の森。
ニングルテラスは、倉本聰さんの舞台『ニングル』に登場するこびと「ニングル」をモチーフにした、森の中のクラフトショップが並ぶ場所です。倉本聰さんがプロデュースした場所でもあります。
実際にそこを歩いてみると、テレビや本の中で見ていた「富良野の物語」が、現実の風景として目の前にあるような不思議な感覚がありました。
麓郷の森にも行きました。
『北の国から』の舞台として知られる麓郷には、今も「北の国から」に登場した場所が残っています。
そして、富良野のアンパンマンショップにも寄りました。
子どもたちが小さかった頃の家族旅行なので、もうずいぶん前のこと。
それでも、富良野の景色と一緒に、家族で歩いた時間が記憶に残っています。
北海道にとって、倉本聰さんはやっぱり特別な存在
倉本聰さんは1977年に富良野へ移住し、その後『北の国から』をはじめ、『優しい時間』『風のガーデン』など、富良野を舞台にした作品を生み出しました。
富良野観光協会も、この3作品を「ふらの三部作」として紹介しています。
そして倉本聰さんは、作品を作るだけではなく、1984年には富良野塾を開き、脚本家や俳優の育成にも取り組みました。
富良野という場所を、ただの「ドラマの舞台」ではなく、物語の中で生きる人たちの暮らしや自然まで含めて、多くの人に届けてくれた方だったのだと思います。
北海道に暮らしていると、富良野という地名を聞いただけで、作品の風景が浮かぶことがあります。
「富良野」と「倉本聰さん」は、それくらい強く結びついているんですよね。
作品は、物語だけではなく思い出も残してくれる
今回、倉本聰さんの訃報を知って、私自身の昔の記憶までいろいろと思い出しました。
「蛍ちゃんに似ている」と言われたこと。
母にすすめられて読んだ『ニングル』や『北の人名録』『冬眠の森』。
今も本棚に残っている本たち。
子どもたちと訪れた富良野。
ニングルテラスや麓郷の森、そしてアンパンマンショップ。
こうして振り返ってみると、倉本聰さんの作品は、私の人生のいろいろな場面にそっと残っているんだなと思います。
作品の記憶というのは、物語の内容だけではないのかもしれません。
その作品を読んだとき。
誰かにすすめてもらったとき。
その作品の舞台になった場所を訪れたとき。
そんな時間まで一緒に残っている。
だから、何年たっても、ふとしたきっかけで思い出すのかもしれません。
倉本聰さんが富良野で紡いできた物語は、これからも北海道の風景と一緒に、多くの人の中に残っていくのだと思います。
私にとっても、倉本聰さんはやっぱり特別な存在です。
心よりご冥福をお祈りいたします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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